或る日はひとつ。
彼は私に「おかしい」と言った。私はそれこそおかしいことだと思う。歪を沈めて生きているなら、誰もが(、その彼もが)おかしいことが当たり前なのだから。言葉を吐くか留めるか、選択肢は常に漂っている。目を瞑るだけ、染み渡ってくる魚を知って。


或る日はふたつ。
空を押し潰した青白いものを考える。その背骨を支える、やわらかな呼吸に触れてみたくなった。花を奪われた腕は、とても短い。爪を噛む黒猫も、焦がれるように笑うだけ。


或る日はみっつ。
シガレットケエスを落とした紳士を見た。拾われない銀光りに、すこしだけ唇をひらく。惜しくても、欲しくはないから。隣のラジオに置き忘れた。次の日、私はそれをしらない。


或る日はよっつ。
チェリーパイの色香も恋しい。祈ることが絶対であるとされた清廉の手のひらを隠してしまう。イデアの上に成り立つ神聖はそのどれひとつとして掬うことを為さないはずだ。そこに例外はない。


或る日はいつつ。
彗星でまどろむ少女を知った。尾を引く甘い小舟が絶え間なく響かせる、音。轍に隠した憂鬱も融けてしまったので、やはり次の日、栞を落とす。


或る日はむっつ。
雨を拾っておしなべた部屋は、少し多めの酸素が吸いつく。道化師、と呼ばれた古い時計に体を寄せて、胎内時計を揺らしてみたり。彼の涼やかな手のひらを、瞼の向こうで飲みほした。あしたは賛美歌とにらめっこ。


或る日はななつ。
上擦る小鳥が喪失に慣れる。あら偶然ね、と云われた雪にも焦がれ壊れて。銀光りする嘘は口に含んだ。黒猫の宝石を掬いとるように。檻の甘やかな日を捲るように。


或る日はやっつ。
記憶を送ったのは旅立つため、らしい。心臓を灰に、すがる線にも笑った。頭上の青だって、海ならだめなの。不思議な話は透きとおる光合成。彼がすき、ときらいになりたい、の波が明日こそやって来ないなら。


或る日はここのつ。
私の名前をさがすのは、我儘かしら。わがまま、かしら。細胞なんて大きなお世話。うつらうつらに知っていること、言わないでおいて。花の蜜を綴るように、分かり合えなくたっていい。足りないのは私の名前といとおしさ。ずっと、を疑わない一瞬を標本にした彼を、九つ数えて融かします。ポラロイドには、ひととせ切手で。












九   つ   孕 





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