RRR...




朝からいい気分ではない。基準を守っている優等生のようなコール音。枕の横で自分と添い寝している携帯電話を見る。寝ぼけている時にはどんなものも不愉快に響いた。だから何も考えずに携帯電話を開いて通話をはじめた。それが失敗だった。




『おはようございます』




眉根が寄る。唇が逆三角形により近い形で歪む。…要するに、不愉快さが5割ほど増した。


「誰ですか」


機嫌の悪さを相手が汲み取りやすいように気を遣って、あたしが四文字を吐き出すと、相手は機械越しに笑った。


『酷いな。昨日まで愛し合っていた彼氏の声も忘れたの』


愛し合っていたというのにも賛同しかねるし、彼氏という表現もそぐわない。そして忘れていたわけでもない、単なる厭味だ。全体的にみて言い返したいことが多すぎたため、それらすべては声にならず、あたしは深い溜息を体外へ押し出した。


「教師が日曜の朝っぱらからあたしに何の用ですか」


クエスチョンマークをつけるほど語尾をあげるのも面倒だ、ということを全面にだす口ぶりを心がける。先生はあたしのそういうくだらない意地や苛立ちをきちんと汲み取ったうえで笑う。男の人の低い笑い声。それが耳に付くから、余計に苛立ちが増すのに。


『今日、学校が開いてるんだ』
「へえ」
『当直が俺だけでさ、部活の生徒も午前で帰るし、』


その続きは言わなくてもわかってる。黙れ。
と、脳内のあたしが語気荒く吐き捨てるのを遠く聞きながら、あたしは先生の言葉を律儀に待っていた。


『黒守、補習してやるから来い』


優しく滾った声を聞いてから、あたしは無言でケータイを閉じた。












「先生が死んだらいいのになぁ、と思うよ」


あたしの呟きに、先生はわずか一瞬息を止めた。それから笑みを浮かべ、口に含んだ紫煙を吐き出す。保健室の蛍光灯を覆うようにゆっくりと、灰色が広がる。


「おまえの意味のない抵抗の理由か?」


先生が愉しそうに唇を動かした。あたしは頭を振る。あくまで横に。


「してるときに抵抗するのは、背徳感だよ。たぶん」
「黒守は優等生の敬虔なシスターだね、まるで」
「キリストには興味ない」
「喩えだよ」


カッターシャツに袖を通しながら、先生がそう言うのを聞き、あたしはまた溜息を押し出した。


「先生はなんであたしを求めるの?」
「求めてないよ」


にやりとふしだらに笑う大人。それに腹が立って、あたしはシャツの釦もとめずにつかつかと先生へ歩み寄った。先生は保健医が普段座っている椅子にだらしなく掛けて、ふんぞり返っていた。
あたしはその胸にだらりと下がったネクタイの結び目を握り、人差し指を喉仏のすぐ下に突き立てる。


「べつに、求めてない」


親に叱られて言い訳をする子供のような目で、先生はそう囁いた。あたしはその唇に自分の唇を乱暴に重ねて、先生の舌を咬む。当然、先生は痛がって一瞬後にあたしを突き放した。


「何すんだ」


非難の言葉をぶつけられてもあたしは笑わない。もう一度近づいて、今度はするりとネクタイを解いた。先生が「あ」と愚鈍な反応を示す。それが面白くて、今度は少しだけ笑いそうになった。
あたしは解いたネクタイを交差するように先生の首にかけて、顰め面を覗き込んだ。


「大人と子供の違いって何だと思う」


先生は気怠げにそう訊ねると、胡乱げな視線を返すあたしの発育途上の胸(だと信じているあたしの部位)に手を宛がった。


「しらない」


あたしは唾を吐き捨てるような所作でそう答える。
先生は笑わない。真剣な顔で煙草を唇にもっていき、あたしの胸を撫でる。


「ずるさだよ、狡さ。辞書のように言うなら、狡猾さ。それと従順さ」
「意味わかんない」
「わかるくせに。俺のことずるいって思ってるだろ、いつも」


あたしは沈黙で肯定した。


「俺は補習と言われてのこのこ出てくるおまえのことを、褒めていいのか、貶していいのか。よくわからん」


貶せばいいと思った。褒められても馬鹿馬鹿しいだけだ。
と、ただしあたしはそれを敢えて口にしない。
補習。からだのお勉強。うまいこと言いやがって。
一番最初は騙された。それから先の何回かは、惰性だった。憎しみの裏返しの愛だった。飢えの悪癖。
今その愚痴をぜんぶぶつけてやろうか、と思い立ったが止めた。どうせあとで言い訳をしたくなるくらい、惨めだから。


「来るって判ってたんですか?」


かわりになんとなく気になったことを訊いてみる。
先生は唸った。


「あー。どうだろうな。来るはずだとは思ったが、来なくてもおかしくないという覚悟は有った」


フィフティ・フィフティ。


「俺たちの不純な関係が盤石なのは、偏におまえが神に従順なシスターだからだ」
「神が先生?」
「俺が神。優等生にとって。言い換えるなら、おまえにとっての」
「最悪最低。職権乱用。評価がこわくて怯えてる子羊を踊らせてるんですか」
「ああ、脳内シスターが日曜日に休むなよな。日曜でも教師に対する悪態はカウントするぞ」
「キスひとつでカウント減らす教師が何をおっしゃいますやら」
「おまえのキスがうまいんだよ。二重の意味で」


先生があたしの手首をぐいと引っ張るので、仕方なしにネクタイから手を離して、あたしは先生の上に馬乗りになる。


「ほら、先生のほうが求めてるじゃないですか」
「求めてないよ」


そんな言い訳をされて、叱る側だっていい気分じゃない。あたしは先生に意味のない苛立ちを憶えて、また溜息を吐いた。


「くたばれ」


朝から脳裏についてまわっていた悪態と一緒に、体外へ。

















盤石なシスター




(ろくでなしの信仰心)


(2010.0101)  

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