香西はいつも本を読んでいる。そうしている間は俺の言葉にも反応しない。上の空、小さな唸り声。だけど俺は、そういうつれないところとかも全部、嫌いになれないからどうしようもなく手持ち無沙汰になる。怒鳴れないのも惚れた弱みだ。
だから放課後の図書室で香西を見つけると少しだけ俺は悲しくなった。いや、悲しいというのは違うか。寂しいのかもしれない。たぶん俺は、ウサギみたいな心地のライオンだ。ちなみに香西はヒツジ。特にこれと言った理由もないけど、香西はヒツジ。もふもふしてて神経質そうだから。曖昧なイメージだけど。



「かーさーい」



1テンポの空白。



「ん」



やっと跳ね返ってきた相槌。それにしても、たった一文字分とは。ああこりゃだめだと、話しかける行為を擲って近くの書棚から適当に本を持ってきた。が、どんな本かを気にせずに持ってきたのが悪かったのだ。活字が苦手な俺、目の前に広げられたロシア文学。見事というべきか、ものの10秒で挫折した。



「弓谷、お前これ読んだことあるか」



テーブルに突っ伏していた俺の頭に香西の声が降りかかった。星屑を降りかけられた心地でがばりと勢いよく起き上がる。



「これって、」
「これだよ。今、おれが持ってるやつ」



ぼんやりした微笑を浮かべた香西が、俺のほうに本を押し出した。宮澤賢治の名前の少し上に箔で書かれた『銀河鉄道の夜』が目に入る。読んだ事はあった。ただ、ラスト以外はなんとなくしか思い出せない。



「読んだことはあるけど、それがどうしたんだ?」
「うん、弓谷だったらどうするかなって思っただけ」
「何が」



少し苦しそうな眸を隠すように、長い睫毛を伏せて香西が呟いた。



「弓谷がカムパネルラで、おれがジョバンニだったら。やっぱり、おれを置いてひとりで行っちゃうのかな」



溺れたザネリを救うのかな。囁くように続けられた言葉が、ふわりふわりと漂って消える。胸を衝かれた心地になって、俺は香西の問いかけを拾いきれなかった。何より、拾った後どうするかなんて思いつかない。香西はこんなによく喋るやつだったっけ。どうしようもない感情と空気に、そんなどうでもいいことばかりが浮かんでは消えた。いとおしいってことは、楽しいことばっかり、優しいことばっかりじゃないんだな。判っていたことを今さら考え直して、少し息を整える。



「香西…俺は、」
「置いていかないで」



俺の言葉を遮って届いた香西の言葉は強い。予想もしなかった香西の弱音に俺は言葉を壊された。どんな言葉をかけても気休めにしかならないんだ。絶対に置いていかない、なんて言えるはずがなかった。実際、言えればどれだけよかっただろう。どこまでも一緒に進んでいこう、と。だけどカムパネルラはジョバンニの言葉に頷かなかったのだ。カムパネルラである俺がそんな言葉を放っても、ジョバンニである香西は頷かない。嘘つきに、俺はなれなかった。



「おれを、置いていかないでくれ。弓谷」



なあ香西。お前なんでそんなに泣きそうなんだ。
誰もいない放課後の図書室で、向かいに座っている香西を掻き抱いた。体勢よりも切なさが辛い。自分の囁き声が幽かに震えた。香西が俺の肩口に顔を埋めて小さく笑った。痛いほど小さな笑い声だった。



「弓谷が泣くなよ」
「俺は泣いてねえよ。泣いてるのは香西だ」
「そうかな」
「そうだよ」



でもさあ。
俺のシャツを強くつよく握り締めながら、香西が言い訳する風に呟いた。



「おれたちが乗ってる銀河鉄道は、まだ南十字に着かないよ」
















サウザンクロスで僕たちは


博士の言葉を僕たちは知らない






080305  






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