母親はドールを集めるのが好きだった。時には高い金額を払って注文通りのものを作らせて、大事に大事に飾っていた。今思えば、仕事で忙しい父親のせいで母は寂しがり、少し寂しかったのだろう。それをわかってか、父は母の趣味に口を出さなかった。子供達は親や家庭内の空気に従順だったから、ドールに夢中な母に少しばかり不満を抱いても口にしない。誰も母を止めない。エスカレートしていく一方だった。
だけどそれでも、母は健全だったのだ。蒐集に没頭しているというだけで、子供達のことは大事にしていたし、人形にだけ笑いかけておれたちには笑いかけてくれない、なんてそんな馬鹿げたことは絶対になかった。
頑丈なショーケースの向こうにたくさんの美しいドール。ほとんどは母が厳重に管理していたけれど、1体だけ、おれや兄さん達も近くで見る事ができるドールがあった。一つは自分用で、一つは誰かにあげようと、二つ作らせたらしいそのドール。あげる相手がいなくなったとかで、子供部屋に飾られたのだ。
おれはその人形が好きだった。母親に似たのか、おれはその頃からとにかく綺麗なものが大好きだった。触れれば壊れてしまいそうな、けれど滑らかで透明感のあるビスクドールの質感。さらさらの髪、ガラスの鮮やかな瞳。
幼いおれの瞳には、これまで見たどんな物よりも美しい存在として映った。


おれは、恋をしていた。
あまりに歪で、羨望まがいの、純粋な執着を。




ダ ウ ト






「くそ……、ついてない」


珀亜は口に含んだ薄く苦い気持ちを言葉にして吐き捨てる。
貴嵯と生徒会長に遭遇して以降、気持ちが荒んでどうしようもなかった。
もうすぐ午後の授業が始まる。掃除の時間が終わりに近づいて、人がまばらに教室へ戻る頃だ。次の時間は選択授業だと聞いていた。各々が荷物を持って教室を移動していくのだろう。
転校したばかりだから、と割り当てられた教室掃除はひどく退屈だった。ちりとりに集めたゴミを廊下のゴミ箱へ捨てる最後の作業を終え、珀亜は教室へ戻る。


「クツナギは選択授業、どこに入るんだ?」


声がしたので姿を探すと、赫夜が窓際の棚に腰掛け、片膝をあげて頬杖をついていた。開けている窓からのやわらかい風を受けて、暗い色の髪がさらさらと揺れている。美しい生き物だ。けれど、触れればこちらが壊されてしまいそうな神秘の美しさは、誰もを蠱惑すると同時に、遠ざけるのだろう。


「どこだと思う?」


にこりと笑って問い返すと、赫夜はあかいルビーの瞳を細めて、粗暴な人間らしくため息をついた。


「まさかオレと一緒の理科クラブだとは言わないだろうな」


ああ、ほらね、今日は嫌な事ばかりだ。嫌な名前を聞いた。


「まさか!ありえないよ。カグヤはともかく、青と貴嵯先生が揃い踏みだ、どんな罰ゲーム?考えられないって」


笑えば笑うほど、赫夜の表情が変わる。さぞや苛ついて不愉快そうな顔をするだろうと思ったのに、その表情は、なんだろう。


「クツナギ、疲れてるなら保健室に行って休むべきだ」
「は?やだなあカグヤ、いきなり何なんだよ」
「いや、うまく隠せてないから、疲れてるのかと思った」
「隠すも何も、嘘はついてないけど?実際におれは理科じゃなくて美術の選択授業だし」
「そうじゃない。クツナギの本心の話をしてる」


言葉が喉につかえて出てこなかった。反駁が、動揺をぐちゃぐちゃに露わにしてしまいそうで、ただ押し黙ることしかできない。
今さっきまで真剣な顔をしていた赫夜が、急に窓際の棚から降りたかと思うと、呑気に背伸びをしながら近づいてくる。
息を整えて、珀亜は唇を動かした。


「カグヤにそんな冷たい顔されたら、おれ傷ついちゃうな」
「冷たい顔なんてしてないし、傷つかないだろ」
「えー、けっこう恐かったよー。お詫びに今度おれとデートしてよ」
「断る。誰が男なんかとデートするか」


赫夜は足を止めなかった。すたすたと何処か行く場所でもあるのか、廊下を進んで行く。この話に収拾をつけないまま置いていかれるのは納得がいかない。珀亜も追いかけて歩きだす。


「青とはデートしてるんじゃないの?」
「どこ情報だよ」
「それは秘密」
「同性の友達同士で遊ぶことがデートか」
「そこに特別な感情があるなら」


赫夜が振り返る。珀亜と目を合わせて、また真剣な顔になった。


「嫉妬か。やっぱり子供っぽいところがあるな」
「だっておれのカグヤが青なんかと仲良くしてるなんて、許せないだろ。きみはおれのものになるべきだと思うなあ。できれば今すぐ、どう?」
「……それで?クツナギのものになった俺はどうなるんだ」


意外な切り返しに面食らう。
赫夜と話していると、動揺させられることが多い。他の人間ではもっとおれが優位になるのに。


「どう、って……そこまで考えてなかったなあ。おれのこと好きになってもらおうとしか考えてなかった」
「……ダウト」


赫夜の場合は、おれと話しているとため息が増えるらしい。面倒そうな顔をしている。


「いいよもう、面倒だ」
「あ、デートしてくれる?」
「違う、これ以上この話はやめようって意味」
「なんだよー、つまんないなー」


予鈴が鳴る。赫夜がふと、足を止めた。珀亜は不審に思って赫夜の顔をのぞきこむ。赫夜はそれに構わず視線を右手へ逸らした。


「ほらクツナギ、美術室に入れ」


赫夜がくいっと示す方向を見ると、すぐそこに美術室があった。


「あれ、いつの間に。ていうか理科室はさっき通った階じゃなかった?」
「クツナギが自分で美術だって言っただろ。選択授業の場所はここだ」
「は。まさか案内してくれたわけ?」
「今日の美術の授業は自教室待機だったからな。美術室の場所わからないだろ」


正直、驚いた。それから、妙に納得がいく。
この美しい少年が、青と近しいこと。


「や、優しいー!なんだよそれ格好いいな、カグヤありがとー」
「見え透いてる」
「何か言った?」


そうだ。だけど、たとえ誰に知られたとしても。赫夜自身に気取られたとしても。


「いや、なんでもない」
「そう。送ってくれてありがとね。それじゃあ」


兎床赫夜は、奪わなければならない。




美術室に入って、選択授業の説明を受けながらも、頭の中はその事だけだ。


「(……楽しみなんだ……おれが、きみの世界を壊してあげる)」


ねえ、きみのためだよ。




青。


珀亜は白い画用紙を前にして、瞼を閉じた。選択美術の担当は、さっき美術の授業を担当していた変わり者の女教師とは違う人物だった。その低く通る説明を聞き流しながら、頭のなかにぼんやりとイメージを再生する。




白い雨が降り注いでいる。
あれは美しい女だ、白い雨のなかで怒り狂った顔をしている。誰かの首がしめられている。自分と同じくらい幼い、けれど自分よりもずっと、存在ごと美しい男の子。きらめく金の髪、白い肌。きつく綴じた眦に涙を浮かべている。まるで壊れた人形のような顔で、女の声を聞いているのだろうか、あの男の子はもう何も視えず、何も聴こえない状態ではないだろうか………


その過去の光景が、胸の奥にひそんでいる。
















(one's likes and dislikes)




13.03/03
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