始業式の日から、…クツナギ ハクアが編入してきてから1週間が経った。
正確には1週間と1日目である。今は2時間目。美術の授業中だ。
美術の担当教師は驚異的に雑な女性教師ということで有名な人だった。今日は美術室ではなく教室で待機を命じられていた。教師は教室に入ってくるやいなや、


「外にでて風景をスケッチしてこい。建物と植物の両方が入っていれば尚良し。人物はまた次の機会にやるから描くなよ。あたしは先に昇降口行って出席簿片手に待ち構えてるから、とっとと準備して来い。お前らのために教室まで画板と紙も持ってきてやったんだ。サボろうなんて考えるな。男子なら画板でど突くぞ。ちなみに女子ならセクハラする」


と早口で言い残すと長いポニーテールを揺らして歩み去った。
ロートシュルツ学園には奇異な教師がそろい踏みらしい。赫夜曰く、生徒もどっこいだろ、ということだった。この学校は変人だらけだよ、と珀亜を見ながら。


「(それっておれも変人ってことー?なんて聞くまでもなかったな、あの視線)」


珀亜は今さっきまでのやりとりを思い出しながらやれやれと首を振った。
現在、珀亜は1人だ。渡り廊下がよく見える、対角にあるコンクリートの地面に腰をおろし、壁を背にしてスケッチに励んでいる。赫夜には逃げられた。
もちろん赫夜に鬱陶しがられているのはちゃんとわかっている。わかった上で付き纏っているわけだから、まったく気後れすることはなかった。
むしろ編入してきて1週間でここまで仲良くなれたのだから上出来だろう、と考えている。
今のところは何もかも計画通りだ。新立された忽那木珀亜ファンクラブも中等部の生徒会副会長…兼ファンクラブ会長によって統制がとれているようだし、教師陣のパワーバランスも把握したし、立ち位置をうまく調整できた。大財閥の忽那木家の名の効果は絶大だ。
今、表立って忽那木珀亜に立ち向かってくる敵といえば、生徒会長の藤堂佐理という少年。それから女子では兎床赫夜ファンクラブ会長と、観沙青ファンクラブ会長、以下数名メンバーぐらいだろう。


「(女の子は怒った顔も可愛いから全然問題ないけどね)」


問題は生徒会長の藤堂佐理。
生徒会副会長・兼珀亜ファンクラブ会長である藤堂衣里の双子の弟である。
冷徹で粗野な性格故に人を寄せ付けないが、この眉目秀麗な生徒会長は比類無く有能だった。不良から優等生までもれなくまとめ上げ、教師からも一目置かれている。
そもそも1年生の時から生徒会選挙で圧倒的に2、3年生を打ち負かして生徒会長に就任しているという時点で尋常ではない。恐らく通常のルールなど無視され、卒業するまでこのまま彼が生徒会長だろう。
しかし藤堂佐理の異常な人気は、彼が重度のシスコンであるという周知の一面があって成り立っている。民衆は屡々、ストイックな王様よりも喜劇的な王様に親しみを持つものである。
曰く佐理は殊に姉の衣里の事となるとかなり単細胞化するらしく、近頃更新された藤堂シスコン伝説のひとつによると、珀亜ファンクラブ樹立に姉が関わったと知ったその日、実家の道場の床を竹刀でぶち抜いたとかなんとか。しかし佐理は衣里に頭があがらないものだから、衣里が放った「ハクア様を愛する私ごと愛しなさい」という一言で丸く収まったらしい。噂の尾ひれが激しい気がするが、実際に廊下でうっかり出くわした際に喰らった佐理からの怨念こもった視線を鑑みると、噂もあながちバカにできないかもしれない。それにしてもこれが事実ならば佐理を懐柔している衣里のほうが恐ろしいのではないか。


「(まあこっちが下手なことをしなければ、どうとでも利用し続けられるかなぁ)」

珀亜はスケッチする手を止めて、そんな打算をしていた。
この双子の存在は初等部や高等部にまで知れ渡っているらしい。藤堂家は格式だけみれば観沙家と並ぶ名家である。観沙家は王星グループの経営規模で有名になり、その傘下第2位であるところの忽那木家と共に名声を浴びているが、藤堂家は目立つことを嫌い地道なる繁栄を誇っていた。
要人の子供から一般家庭の子供まで幅広く受け入れ手厚く教育する古刹のごときロートシュルツ学園において、藤堂という由緒正しき名家の双子はあらゆる意味で注目されていた。


「(右の泣きぼくろさんはすっかりおれに夢中だし)」


これは藤堂衣里のことである。双子はそれぞれの顔の左右逆位置に泣きぼくろがあるのだ。
右目の下が衣里、左目の下が佐理。


「よし、左は放って置こう」


やぶ蛇は遠慮したい。そう考えて珀亜は口にしたのだが、結果としてそれが影を呼んだ。


「おやおや、オイオイ、【靴脱ぎ】君じゃねえの」


唐突に殺気立った声が投げられた。画板から視線をあげ、3メートル先の渡り廊下を見る。と、そこにいたのは藤堂佐理、その人だった。その隣には口を噤んだままの理科教師、貴嵯宏孝までいる。


「(!!…ッ、最悪!なんで顔を見たくもない2トップが同時に現れるかなぁ…!)」


どうやってやり過ごそうかと考えながら珀亜はとりあえず黙り込む。
するとそれをどう受け取ったのか、藤堂佐理が上履きのままこちらへ近づいてきた。
貴嵯がそれを咎めて「おい生徒会長が上履きのまま外にでるんじゃねえよ!おい、藤堂左!」
制止するが佐理は聞く耳を持っていない。
藤堂左、と佐理を称したところをみると、どうやら貴嵯の発想は珀亜と同じだったらしい。珀亜は咄嗟に、近づいてくる佐理という脅威よりも、貴嵯と発想が被った現実を拒絶したくなった。


「【靴脱ぎ】君、こんにちは。こんなとこで何してるわけ?」


珀亜が座ったままでいると、佐理がその前で仁王立ちになった。
それから神経質そうに見える整った細面をずいと珀亜に近づけて、嫌悪感を全身で顕わす。
細身に見えても、武道を嗜んでいる少年だ。必要最低限に鍛えられているのだろう。威圧感が凄まじい。
しかしそんなことは敢えて気にも止めぬ素振りで、珀亜は微笑んだ。


「くつぬぎ、じゃなくてクツナギですけど?忽那木家と藤堂家の仲じゃないですか。ひどいなあ、たった4文字くらいしっかり覚えて下さいよ。生徒会長様こそこんなところで何なさってるんです?」


珀亜の言葉に、佐理が眉をつり上げる。ただしあくまでも冷静だった。


「同い年でデスマスつかうんじゃねえよ気持ち悪ぃなあ。貴様の質問に答える義理は無いし」
「片や生徒会長様と一介の生徒ですから。敬意を払ってるだけですよ」
「にこにこニコニコしやがって、貴様はピエロか?俺をバカにすんのも大概にしろよ、何が敬意だ腹黒アイドル」


佐理が吐き捨てた言葉に興味も持たず聞き流した直後、珀亜は佐理の後ろに貴嵯が立っていることに気づいた。
佐理とやり取りをしている時には余裕ぶった綺麗な笑顔を浮かべていた珀亜が、貴嵯に目を向けた途端に表情を殺ぐ。それから不愉快そうに眉を顰めて、悪意に満ちた半笑いに変わる。
貴嵯はそれに一瞥くれて、同じく不愉快そうに眉根を寄せる。が、話しかける相手は珀亜ではない。


「おい、藤堂。外に出るなら靴に履き替えろ。生徒会長なら規律くらい守れよ。生徒指導の俺と一緒にいてこの挙動ってのはいくらなんでも目に余るぞ」


気怠げに言いながら貴嵯が佐理の肩に手を置くと、佐理は勢いよく振り返って貴嵯を見た。
珀亜には伝わらなかったが、このとき佐理は驚いていたのだ。
この教師は普段ならばもっと雑に指示をするし、ともすればたかがこの距離の移動で下足云々を咎めるまでもないと判断して見逃すこともあるだろう。だが今回のこの制止、この手の重みは何だ。


「宏孝先生。別に相手がこいつだからって、俺はこいつと殴り合うほどの喧嘩はしませんよ」


佐理が訝しげに言うと、貴嵯は手を離した。


「ああ、そりゃそうだ。バカはバカでもおまえは姉バカだからなー」
「先生……面白くありません。不愉快という意味合いで面白くありません」
「へいへい。いいから戻れ。オレの用事もまだ終ってないんだ」
「……はい」


貴嵯に押されると佐理は案外すんなりと従った。
渡り廊下に戻ってから、ついてこない貴嵯を不審に思って振り返る。


「先に職員室行ってろー」


貴嵯は佐理に向かって雑に手を振り、彼が校舎内に入るのを確認してから、黙りを決め込んでいる珀亜の方へ向き直る。


「おい、忽那木のぼっちゃん」
「なんですか、貴嵯先生。おれは美術の授業の一環でここにいるんですけど、それで何か咎められます?」
「見りゃわかることを懇切丁寧に説明しなくていい」


それを聞いて珀亜は舌打ちを堪えるのに努めた。
この男が嫌いだ。大嫌いだ。反吐が出る。ややもすれば憎いぐらいだ。
一言一言が気に食わないし、立ち位置も気に食わない。観沙 青を守る立場にいる過保護な男。
貴嵯宏孝という人物からして虫が嫌うけれど、とにかく厭う理由の大半はこの男が青を守っている姿勢にあった。


「(こいつさえいなければ…!)」


珀亜には目的がある。何物にも代え難い目的。
今までいた、要人や金持ちの子が通う進学校から、僅かながら見劣りするこのロートシュルツ学園へ、3年生からの編入という無茶を押し通した理由。反対する親を言いくるめ、突きつけられた様々な条件を呑んでまでここへ来た、原動力。たくさんの人間を、ひいては自分の持っているものすべてを利用して足場を固めていく苦労。


「おまえの目的は何だ?」


貴嵯が珀亜に問う。珀亜は笑った。それは嘲笑だった。
最高に不愉快そうに、美しい少年はせせら笑った。


「わかってるくせに」


珀亜の言葉の余韻に、チャイムが鳴り響く。
授業の終りを告げるメロディが、貴嵯の思考を1秒だけ止めた。


「それではさようなら!」


珀亜は立ち上がり、悪意で咲き誇る笑顔と言葉を貴嵯に向けてから早足で去った。
それを見た貴嵯の脳裏に浮かぶのは、


「嗚呼、……青に似ているなんて」


(思いたくもないよ、レプリカ!)

















(焼き増し)




11.03/30
inserted by FC2 system