忽那木 珀亜と出会ったのは、その時だった。


子供と大人が区分けされる前の、挨拶回りで彼を紹介された。


「喘息がひどくて今まで連れてくることができず、ご挨拶が遅れました。これが三男の珀亜です」


ハクアというらしいその子は、忽那木家の当主にそう紹介されてから、夫妻より一歩前に出て堂々とお辞儀をした。


「クツナギ ハクアです。ご挨拶が叶って光栄です。よろしくお願いします」


引っ込み思案なぼくなど、父と母の前に進み出ることもできず、その場でぎこちなく頭を下げるのが精一杯だったというのに。何しろ母様に促されてようやく「ミスナ セイです」とだけ口にしたぐらいだ。
忽那木夫妻はそれからハクアがぼくと同い歳であること、従って是非仲良くしてやってほしいという旨を話した。


「珀亜くんはしっかりしていますね」


と父様が言った。すると忽那木家の当主はさらに増してにこやかになる。


「以前ご挨拶しました次男はこの子の4つ上で、向こうで挨拶している長男は次男の5つ上です。歳の離れた兄がいると自然と自分もしっかりしなくてはと思うんでしょうかね。前はもっと病弱で寝込んでばかりでしたが、8つになってようやく身体も丈夫になった」


そんな大人同士の会話に取り残されて困惑しながらぼくがふと隣を見ると、いつの間にやら母様は少し離れたところで忽那木家の奥様と談笑していた。この状況で父様の背に隠れていいのかもわからず、じっと佇んでいるしかない。


「ではもう身体は平気なんですか?」


父様の質問に、忽那木氏は一瞬ばつの悪い顔をした。それからすぐに困った風な笑みを浮かべる。


「まだもう1年くらいは様子見に静養が必要だと医者に言われていたのですが、今日の親族会にぜひ参加したいと本人が言うもので…はは、忽那木の名に恥じぬ程度には気概があるようです」
「そうでしたか。私も幼少の頃は喘息をもっていました。外に出たいのに安静にしていなければならない末っ子でしたから、珀亜くんの気持ちがよくわかります」
「そうなんですか、紫恩さんも…。そういえば幼い頃は親族会でもあまり見かけませんでしたね。…酷かったんですか?」
「酷いというほどでは。10歳頃にはすっかり症状もでなくなりました。医者の言うことをよく聞いて、身体が丈夫になるまで辛抱すれば存外なんとかなるものですよ」
「では今日は連れてくるべきではなかったかな」
「いやいや、そうは言ってもずっとベッドの上にいては気が塞いでしまう。今日くらいは大目に見ても良いでしょう。何より、顔を見ることができて私が嬉しいというだけですが」


ははは、と2人の大人が笑う。
ぼくがふと前を見ると、ハクアが何故だか複雑な顔でぼくを見ていた。向こうはどうやらぼくに興味を持っている、らしい。大体そういうことは把握できる。視線が刺さる感覚くらいはわかるのだ。つま先から髪の一本一本までしげしげと見られているのが居心地悪い。
お返しに、とばかりにぼくもハクアをじっくりと観察してみた。線は細いが、頼りない感じは一切ない。とにかくバランスのいい体格だった。ベッドで過ごす時間が長い生活だとは窺わせない。よくよく他の人と見比べてみると少し色が白いかなあと思うくらい。
しっかりとした意思を感じられる若草色の瞳、ほんの少し白で薄めたような淡い蒲公英色の髪。顔だちは整っていて凛としている。視線がぶつかっても怯まない。
ぼくはその風采をわずかに羨ましく思った。彼は男の子として綺麗だ。
ぼくが持っている、いたずらに目立つプラチナブロンドと碧い瞳ではない。何かあるとすぐ薔薇色に染まる頬ではない。まるで女の子みたいだと人から言われるぼくとは違う。そんな悩みとは縁もなさそうだった。


「それにしてもご子息は紫恩さんに似ていらっしゃる」
「やはりそうでしょうか。近頃は妻までそんなことを言い出すんですよ。まるで貴方が小さくなったみたいね、と」
「はは、それは言い得て妙ですね。奥方は素晴らしいセンスをお持ちだ」
「忽那木さんも意地が悪い。私は自分で認めると親ばかが悪化しそうだから、まだもって妻に似ているところを挙げ連ねて反論しているところなんですよ」
「その輝くプラチナブロンドと宝石のような青い瞳では、反論の余地がないでしょう」
「私はサファイアかもしれないが、この子はエメラルドとサファイアの中間色ですよ」
「あははっ。紫恩さん、そんなに剥きに否定することもないでしょう。こちらは羨ましいくらいだというのに。うちの珀亜なんてこの通り、そっくり妻に似てしまって…」
「ご長男はあなたにそっくりだったでしょう。次男はどうでしたか…、まあとにかくいいじゃないですか、それぞれの毛色がでて」


父様の言葉に、忽那木氏は肩を竦めた。


「わたしも紫恩さんと同じように思うんですがね。ああそうだ、これから家内にもそう言ってやってください」
「奥様にですか?」
「ええ。2年前だったか、成長した青君を見てからすっかりファンになってしまったらしくて。冗談まじりに青君がうちの子だったら良かった、なんて言うんですよ」
「穏やかじゃないですねえ。可愛いひとり息子ですから養子には出しませんよ」
「それは勿論、そうですとも。あれも本気ではないでしょう」
「何より、珀亜くんという可愛い盛りのご子息がいますしね」
「いえ、それがね。わたしも同じ事を言ったんですが、そうしたら家内がとんでもないことを返しましてね」


忽那木氏が声を潜める。ぼくとハクアに聞こえないようにと配慮したのかもしれない。
けれど、ここまで聞いてしまっておいて、耳をそばだてずにはいられなかった。
そうしてこういう事柄は、運悪くも耳に届いてしまう。


「珀亜はまるで青君のレプリカのようだ、と」


その時ぼくは漠然と、ああこんなことを聞いてしまったら悲しくて悔しくて、きっとハクアはぼくを恨むのだろうなと思った。その推察の答えは、ぼくの視線の先に佇むハクアの若草色の瞳が語っていた。
妬ましそうな、物欲しそうな、狂おしげな表情だった。ぼくはそれを直視すべきではなかったのだ。でも、それを察知するのが遅すぎた。
ぼくは自分に向けられた憎悪を直視してしまった。他の子達がぼくに向ける、形だけの悪意とは比べものにならない。重たくて悲しい熱。たくさんの感情が綯い交ぜになっているのに、まっすぐにぼくへ突き刺さる形。とても鋭利で、けれど鈍い痛みを抱かせるもの。少しでも油断をすれば息が詰まりそうになる。
それからぼくはハクアから視線を逸らした。今すぐにでも逃げて、隠れてしまいたかった。
純粋に、彼のことが恐ろしかった。








「観沙くん」

はっとして前を見ると、クラスメイトの少女が立っていた。
彼女とは初等部の頃からほとんど同じクラスで、万年クラス委員という点でも印象が強い。見知った少女だ。そう、ここは親族会の会場じゃない。そんなことを咄嗟に確認して安堵した。


「あの…大丈夫?」
「あ…うん、大丈夫だよ。ごめんね、何か用事だった?」


できるだけ穏やかに笑ってみせると、彼女は焦ったように頭を横に振った。


「ぼんやりして、話しかけても反応無いから…もしかして具合悪いのかと思ってしまって」
「そっか…。昨日、遅くまで起きてたからかも。今日は早く寝ることにするよ」


そう口にしながら、薄い嘘をつく自分がとても厭な人間に思えて心臓がずきりとした。
だからたぶん、動揺をしていたのだと思う。


「心配だよ」


そんな彼女の優しい言葉に、


「どうして」


くだらない切り込みをいれてしまった。
蚊の鳴くような声であっても、この距離では彼女に届く。
口がすべったにしても、ぼくはどうしてこんなに酷いことを言ってしまったのか。修復できない傷をつけてしまった。そう思って何とか発言の意味合いを曲げようとぼくが口を開きかけた時、彼女は思いがけないことを言った。


「観沙くんこそ、どうして?」


驚いてぼくは彼女の顔を見る。傷ついた顔。それでも気丈に言葉を選んでいる風だった。
周りに聞こえて騒がれては困るとわかっているのか、彼女は囁き声で話を続ける。


「兎床のせいなの?それとも忽那木とかいう編入生のせいなの?」
「え……」
「たしかに心配するのはわたしの勝手だけど、それでも今、周りに心配させてるのは観沙くんだよ」


言葉を失った。


「観沙くんは兎床が来てから随分変わったね。以前は周りに心配させるような隙もみせなかったのに」


嗚呼、なんてことだろう。彼女の言葉は正しい。


「わたしはね、周りに心配されるような素振りを見せてしまうんだったら、心配されることを拒絶する権利はないと思う」


とても、美しい意見だ。


「ごめんなさい」


ぼくは謝るしかなかった。
心配してくれてありがとう。君を傷つけたことを赦してくれると嬉しい。
ぼくがそんなようなことを言うと、彼女は悲しそうな顔をして去り際に謝った。
ごめんね、観沙くん。わたしが観沙くんを傷つけてまで伝えたかったことを、どうかわかってください。


「(わかってるよ)」


チャイムが鳴り響く。先生が教室に入ってきて授業が始まる。


「(ぼくが傷ついている理由は、わかっているんだ)」


失うことに慣れている。けれど失えば失うほど、


「(だからもう…お願いだから…ッ)」


瘡蓋に変わってしまった傷口が、抉られるように痛むから。
もう誰もぼくを壊さないで。失いたくないものを奪われるくらいなら、自ら手放したのだと信じたほうがまだしあわせだから。もう誰も、ぼくを。
眦の熱に祈ると、滴は静かに流れ落ちた。
排他された悲しみの形だった。












(I'm OK.)




11.11/
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