C組には、前のクラスメイトもちらほらといて、ミスナがいないことを除けば、そう悪いクラス替えでもなかった。そもそも俺は顔が広いし、全校生徒の半数にはケンカの強さで一目置かれているようだったから(加えてその美貌で有名なんだよ、とミスナには言われる)浮くでもなく馴染むでもなく、居心地のいい距離感で人間関係を築けそうだった。だからこそ心配のタネは、ミスナがA組でどういう人間関係を築くかなのだ。
1年の頃に俺が編入してくるまでは、相当に浮いていたらしい。いや、厳密には底のほうで埋もれながら浮いていたという感じなのか、幼等部の頃から中等部までずっとそんな感じだったよ、とミスナは笑った。ぼくは家が“あれ”だからさ。「触らぬ神に祟り無し」とはよく言ったものだね、と。
ミスナが言うところの「兎床赫夜の影に隠れて」いることはもうできない、今。ミスナはどうしているのだろう。


「編入生を紹介します」


HRが始まり、担任の女性教諭がそう言うと、男子も女子もがやがやと騒がしくなった。俺はぼんやりと、ミスナは俺が初めて教室に入ってきたときのことをなんと言っていたっけ、そんなことを考える。
入ってきたのはすらりと背の高い男子だった。女子に好かれそうな、色のある美少年で、いかにも“イマドキ”の印象を受ける。きゃーきゃーと落ち着かない女子に小さく手を振ってあしらう慣れた所作が、モデルだとかタレントだとかそういう類の人間によく似た雰囲気を匂わせた。
注目すべきは男子までもが、僻むでもなく、その容姿に動揺していた点だ。俺はそれを見て、ミスナの言葉を思い出した。


「(なるほど、これか…俺が入ってきた時の感じは)」


中性的だねと他人からよく言われるし、人目を惹く容姿だというのはそれなりに(、厄介だという意味で)自覚しているから、そこは別段、引きもしないが。ミスナほどの美少年に「悪魔のようだ」と言われる筋合いはないだろう、とぶつけどころのない不満を覚える。


「初めまして。クツナギ ハクアです。よろしくお願いします」


黒板に「 忽那木 珀亜 」と書いてから、編入生の少年は前へ向き直って微笑んだ。


「(ん…?……どこかで見たことがあるような…気がする…?)」


クツナギという少年の微笑に妙な違和感を覚えると、同時に少年と目が合った。
俺は驚いて頬杖をついていた左手のバランスを崩す。


「じゃあ忽那木くんには、兎床くんの後ろの席に座ってもらいましょう。窓際の列の一番後ろ。黒髪で瞳が赤い子、その後ろに…」


先生が俺を示しながらそう言うと、忽那木は一瞬どことなく変な顔をしてからすぐに微笑み直した。先生に一歩近づいて、少しだけ首を斜めに傾ける。


「先生、お願いがあるんですけど」


30代ぐらいの女性教諭には、まだ数えるほどにしか直視したことがないであろう忽那木の整った顔だちと、桁外れの色気に対する免疫がなかったとみえる。
明らかに動揺を押し隠しているとわかる様子で黙り込み、忽那木の言葉を待っていた。


「その…兎床君?の後ろじゃなくて、前がいいんです」
「え…どうして?」


先生がごく当たり前の疑問を口にすると、忽那木は困ったようなオーラをだしながら、子犬のような表情で伏し目がちに唇を動かす。


「だめですか…?」


10秒後。 『美しさは不条理な力だ』と、貴嵯がミスナのおねだりにノックアウトされた際に言っていたのを思い出しながら、俺は先生に指示に従ってひとつ後ろの席に移動していた。今さっきまで俺が座っていた席には忽那木が座っている。


「(不条理な力ねぇ…)」


忽那木のねだり顔や微笑に覚えた引っかかりは未だに答えが見つからない。どこかで見たことがある、気がするのにも関わらずいまいちぴんと来ないのだ。どこかで見たことがあるというよりは、誰かに似ているということなのだろうか。しかし、自分の容姿とたっぷりの色香を人心掌握に最大限利用しようという発想をもつ程度に性格の悪い人間…そんな人間は自分の知り合いにはいない。


「ねえ、名前なんていうの?」


唐突に、忽那木が振り返ってそんなことを聞いてきた。


「兎床」
「それ名前?…じゃないよね。先生が言ってたくらいだから苗字でしょ?」


なんだろうか。この少年の話し方には、不可解な感じがする。ピントの合わない写真が、綺麗な写真立てに飾られているような感じ。


「名前は赫夜」
「……。へえ、カグヤっていうんだ。キレイな名前だなー。どういう字で書くの?」


返された言葉におかしな間が空いた。それでこの少年が、用意していた台詞を読んでいるのだと気づく。
編入してくるから、ある程度誰かと仲良くなるための言葉を準備していた。そう考えるのが妥当だろう。けれど転入早々、教師に我が儘を言うような人間が、そこまで小心に台本を用意してくるものなのか。そういう人間もいるかもしれないが、しかしこの少年は違うだろう。すべて計算ずくで行動している、と言われたほうがまだ納得がいく。


「先生に頼んで出席簿でも見せてもらえばいいだろ」
「なにそれ、皮肉?あははっ、ひどいなぁ」
「……知ってるやつにわざわざ教えるわけがない」


俺の言葉に、忽那木は笑うのをやめた。つまらないものを見るような顔をしてから一瞬後、唐突にニコニコと口角を上げる。若草色の瞳は、まるで笑っていない。


「そうだね。ここに来る前、昇降口に張り出されてたクラス替えの紙を見たんだ。C組で兎床赫夜って名前が一番珍しくて綺麗だったから、実は覚えてた」
「……そうか」


これがトランプゲームの最中ならば、「ダウト」と言うタイミングだろう。
けれど俺は、面倒事は避けたい。だから敢えて流す。


「クツナギだっけ」
「珀亜でいいよ」
「なんで俺の前にきたんだ。べつに後ろでもいいだろ」
「ああ、それ?だって、おれが後ろから話しかけても、面倒くさがりなきみは振り向かないだろ」
「面倒くさがりだってよくわかったな」
「……。頬杖ついてたし、おれのことをどうでもよさそうに見てたから」


嘘だな、と思いながら適当に返す。俺はまた頬杖をついて窓の外を見ながら言葉を返す。


「それでわざわざ前にきた、と?」
「そう。きみに一目惚れしちゃったんだ。だからきみとたくさん話したくてさ」


俺が睥睨すると、忽那木は動じずに笑った。恐らくそれで女も男も平等に誰もが落ちる、とっておきの笑顔だろう。美しい容を利用した狡猾な笑み。俺はそれをみて、ああ、と得心がいった。


「馬鹿げてる」


呟きが宙に浮く。
馬鹿げている。こんな厭らしい笑みを見て、どことなく面影がミスナに似ている、と思うなんて。


「(…不愉快だ)」






それからHRの間も、教室を移動する時も、始業式の間もずっと。クラス中の女子や男子が話しかけてくるのに一言ずつ返して愛想良く器用に躱しながら、忽那木は俺に付いて離れなかった。
しきりに話しかけて詮索してくるし、べたべたとスキンシップが激しい。そのくせ時たま、ひどく不愉快そうな顔をする。
読めないうえに鬱陶しいので、俺はうんざりした。ただ、一緒にいて疲れる、というほどではない。話が合わないわけでもないし、俺をまったく対等に見てくるスタンスはありがたかった。他のクラスメイトだって俺を疎んじたりせず、ごく普通に仲良くしてくれるが、時折ケンカの強さや見てくれのせいで俺を持ち上げる節もある。だからその点だけを見れば、忽那木とは近しい友達になれそうだと、思えなくもなかった。


「(ただまあ……気を許すことはできないな。得意なタイプではないし、何より性格が悪い)」


始業式もHRも終って、鞄を持って教室を出る。ミスナを探しに行こうとすると、急に背後から誰かがのしかかってきた。誰か、とは考えるまでもない。


「クツナギ」
「だから、珀亜でいいってば」
「重たいから、どいてくれ」
「カグヤがおれを置いてどっか行こうとするからだろー」


そう言うと忽那木は退いて、また俺の肩に腕を置いた。


「あのさー、カグヤ。おれ編入したばっかりで、この学園のこと全然わかんないんだ」
「…だろうな」


なんだかもう直感的に、ただの勘で、こいつの嘘がわかるようになってしまった。ただし嘘をつく理由も意味もわからないからどうしようもない。


「だから今度、案内してよ」
「面倒だから他のやつに頼め」
「そんなこと言わずにさー。おれはカグヤに案内してほしいんだってば」
「断る」


忽那木から逃れようとして身体を動かすと、前方にミスナが立っていた。探しに行くまでもなかったな、と思いながら手を振る。けれどミスナはまるで反応しなかった。よくよく見ると、顔色が悪い。


「ミスナ…?どうかしたのか?」
「ちょっとちょっと、赫夜くーん?おれは無視かよ」


ミスナに近づく。顔面蒼白のミスナが、何か悪い夢でもみているような表情で忽那木を見つめていた。俺はとりあえず、と手短に紹介をする。ミスナはまったく聞いておらず、かぼそい声で何か呟いていた。


「やあ、青」


俺の横に立って、忽那木が口火を切る。


「ハクア……っ、なんでここに」


ミスナが怯えているような嫌悪しているような、どちらともとれる声音で言った。
知り合いなのか、と思うよりも早く、一体ミスナにとって忽那木はどんな存在なのだろうという不安が先行する。ミスナのただならぬ様子は、天敵を目の前にした小動物に似ていた。これはもしかすると、良くないことが起きている?


「なんでだと思う?」


そう言った忽那木の顔は、恐らくこれが素に近い表情であろう、意地の悪い笑みを浮かべていた。ただし言葉はどことなく悲しげで、本当の気持ちの通りに喋っているわけではない、と伝わってくる。言葉ひとつとっても、話し方ひとつとっても、嘘ばかり、ごまかしてばかりで、どこにも真実を感じさせない。
本当の忽那木 珀亜という人間が、少しもわからなかった。
当惑する俺を無視して、忽那木は俺にべったりとくっつく。それからミスナに向かって言った。


「きみのためだよ」


その瞬間、ミスナはこの世の終りのような顔で、エメラルドの瞳を翳らせた。
俺は、何か声をかけなくちゃいけない、と思いながらも何を言えばいいのかわからず、逡巡した。せめてこちらに注意を向けようと、口を開いた、その時。


「観沙」


貴嵯が観沙の後方から近づいてきた。鬼気迫る感じだった。足運びが早く、あっという間に観沙の真後ろに立つ。それから完全に不機嫌な顔で俺を睨んだ。


「観沙、おいで」


貴嵯は観沙に低いテノールで声をかけると、力が抜けて自ら動こうとしない観沙の肩を抱いて強引に、ただし優しさが伝わってくる速度で連れ去ろうとする。


「あれー、貴嵯先生ってばどうしたんですか?おいで、だなんて随分と丸くなりましたね。それとも可愛い可愛い青ぼっちゃんにだけ、優しいのかなぁ?」


忽那木が俺にくっついたまま、悪意を練り込んだような大声をだす。廊下にいる野次馬が一斉に俺たちを見た。ただし視線を気にする余裕はない。俺は俺で、観沙の様子が気になって動けずにいた。
これは一体、何が起こっているんだ。何が、どうなっているんだ!


「忽那木のとこの、珀亜ぼっちゃん」


言葉を吐き出して立ち止まった貴嵯は、自らの背でミスナを庇っているように見えた。


「おまえさぁ、僻むのも大概にしろよ」


俺にはわかる。ここからでも、よく見える。何でもないように、いつも通りの声音で喋った貴嵯が今、忽那木を殴り飛ばしたいほど腹を立てていて、それを堪えるために少しだけ震えていることが。
たぶんその怒りの裏には、俺の知らない深い事情がある。だけど、俺は、そんな事のすべてを知らない。


「僻む?おかしなこと言わないで下さいよ。おれはただ、貴方のその必死さが滑稽だから言ってるんです。言いがかりも甚だしい」


言い返した忽那木も、貴嵯の言葉に苛立っているようだった。
貴嵯は何か言おうとして、やめたのだろう。黙って頭を振りながら、ミスナを連れ去った。
野次馬が俺たちから関心をなくして、また元通りの風景が廊下に広がると、忽那木は貴嵯とミスナの消えた廊下の角を見つめたまま、ぼそりと呟いた。


「ナイト気取りの目障りなファントムめ」


仄暗く淡い若草色の瞳の奥に、言い知れない感情が渦巻いている。俺はそれを見つめながら、ミスナのエメラルドの瞳が翳った瞬間を思い出していた。出来事のひとかけらも理解できず、ただ漠然とした不安に溺れている。















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