呼吸。


「なんで泣いてるの」


洟の音。これは嗚咽だ。笑っているのかと思ったけれど、頑としてぼくに背を向けているところをみると、やっぱり泣いているんだろう。


「泣いてない」


意地っ張りの返答。


「泣いてるじゃないか」


顔を覆い隠している腕をぼくが掴んで引っ張ると、美しく整った顔が露わになった。
ぼくのエメラルドと微妙に違う、若草色の玉がふたつ、ぼくを睨んだ。瞼があかく腫れている。ただし頬は乾いていた。


「おれは泣いてない」
「泣いている」
「涙なんて流してないだろ」
「袖が濡れてるじゃないか。意地を張るのもいい加減にしなよ」


そういなしたぼくの手を振りほどき、彼は誤魔化すように髪を掻いた。うすく茶がかった金髪。ぼくのブロンドとは微妙に違う。まわりから「純粋」だともてはやされるぼくと違う。彼はまるでレプリカ。
ぼくは彼に妬まれている。


「おれはきみになりたかったんだ」


聞き飽きた。いつも彼は同じ事で涙をながす。いつもぼくは同じ事で言葉を涸らす。くりかえし。


「ずっとずっと、きみになりたかったんだ。おれはきみに、なりたかったんだ」
「違うよ」


繰り返してきたやり取りに含まれない言葉。ぼくは自然と、本心を口にしていた。今まで溜めた本当の心の音を吐き捨てていた。
彼は驚いている。つい一瞬前にじわりと滲みでた滴を、眸のふちにたたえたまま、唇をすこしだけひらいたまま。停止している。
ぼくは彼に妬まれている。恨まれている。だけどそれは違う。ぼくのほうが強いんだ。
そう、ぼくのほうが、より一層彼を嫉んでいる。飽きたのは、彼の言葉ではなく、ぼく自身の考え。


「ぼくが、君に、なりたかったんだ」


純粋ではない。彼のほうがよっぽど純粋だ。
期待から逃げるなら、イメージから逃げるとするなら、ぼくはずっとレプリカになりたかった。脆い本物より、丈夫な贋物のほうが美しいと思える。


「なんで泣いてるの」


彼が静かに呟いた。ぼくは途切れとぎれの苦しい呼吸を連ねて、口を開く。目蓋をとじる。


「泣いてない」


頑固者の模範的反応。


「泣いてるじゃん」


ふ、と何かの気配が近づいた気がして、ぼくは目蓋をゆっくりと押し上げた。
視界いっぱいに飛び込んでくる、彼の顔。落ち着いた若草色と、よく似合っている、うす暗く淡い蒲公英色。
そんな彼とは対照的な、ぼく。


「ぼくは泣いてない」


ぼくの瞼は腫れぼったくもないし、頬は乾いている。(もちろん袖も、だ)
彼は真剣な雰囲気を漂わせて唇をゆっくりと動かす。


「泣いてる」
「涙なんか流してないよ」


ぼくはエメラルドのひとみに彼を映して、屡々だれかに美しいと云われる、自分の淡い金髪を揺らした。
すると、彼がかすかに表情を変える。


「そうだけど、きみはいつも泣いてるだろ」


微笑んだように視えた、気がした。
言葉を返すより速く、まわりの音が遠くなる。動揺して口籠もったぼくに向かって、彼はまた唇をゆっくりと動かした。
何を呟いているの?
そんな風なことをぼくが叫んでから1秒のタイムラグ。再び(、たぶん)同じ内容を呟いた、彼の声がぼくに届いた。








―――








雀のささやかな騒音が枕元に届いた。
朝だ、と認識しながらも、理解しきれていない。寝起きの頭。


「…なに、それ」


まだ夢との距離が近いままだった。あれ、よりも近い「それ」を口走る。


「何それ。……意味がわからないよ」


溜息をつくと、夜中渇いていた喉が、ひゅう、と苦しげな音をたてた。


「…それでも、あいして、る…。…それでも…?」


目覚める直前に耳にした、彼の言葉をなぞる。
呆、とした視界も、すこしずつ冴えていく気がした。


「……『それでもあいしてる。』」












(かなしいゆめから浮かびあがる)




10.10/25
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