「あめのおとがする」
かぼそい声がぼくの足下に落ちた。
彼は窓辺の椅子に座っている。対してぼくは物をとりに立っているところだった。
「え?」
すこし遠い距離感だけれど、屈んで拾うのも面倒だから、ぼくはただ一音だけを投げる。
1秒未満。
「雨の音がする」
反響、おなじ言葉。彼のするように、ぼくも窓の外を見るが、やはり雨が降っている様子はない。
むしろからりと晴れ渡っている。
「うそ」
ぼくの謗り言に、彼は笑みを浮かべた。ぼくの方は一切見ず、なぜだろう。とても愉しそうに口を開いた。
「うそじゃないよ、直に降る」
それから5分くらい後、窓の外に雨音が響きはじめたのを聞いて、ぼくはどれほど驚いただろう。
「君、どうしてわかったの?」
「言っただろ、音がするって」
「まさか!降る前に音がするもんか」
「遠くでするんだよ。おれには聞こえるんだ」
うそだ。そんなこと有るわけがない。
ぼくが唖然としながらも反駁しようとしているのを見て、彼は笑みを掻き消した。真顔で、視線を逸らす。
「冗談だ」
彼のその一言の所為で、ぼくは出かかった言葉を無理に飲み込むはめになり、危うく痞えるところだった。
「どっちなのさ!」
ぼくが吐き捨てる問いに、彼はまた笑う。
「うそだよ」
不自然でややこしいことを口にして。
その「うそ」だとか「冗談」が、どれを指していて、一体どれを打ち消すものなのかが掴めない。
ぼくは辟易していた。
「言葉遊びならやめてくれない?ああ…頭がこんがらがってきた」
あはは、と声をあげて笑う彼を睨め付けて、ぼくは溜息を吐く。
少し経つと、気が済んだのか彼は笑うのをやめた。
「天気予報をみたんだよ。それで直に降るんじゃないかと思っただけさ」
彼が言うには、簡単な理由だった。
現実的で、もっとも納得できるトリック。あとはただの偶然で、適当なうそ。
だというのに。なぜだろう、信じられない。
ほんとうは、聞こえていたんじゃないの?ぼくではない君ならば、万が一にも不思議な才能があるんじゃないのか?
そんな馬鹿げた懐疑をぶつけたら、笑いものだ。どうしてこんなことを思ったのだろう。彼の言動が何かを誤魔化している風に視えたからか。気のせいかもしれないのに。
さっきまで、そんなことは有り得ないと反抗していたのは自分じゃないか。これではおかしい、こんなのは可笑しい。
「ねえ。きみさ、もっと素直になったほうがいいよ」
彼が唐突に立ち上がり、ぼくの近くに寄ってきた。
「え?」
「今。何か考えて迷走してるだろ」
ピンポイントで刺激される。驚きのあまり、二の句がつげない。
「複雑になるのは、きみがおれを信じないからだよ」
「な、」
「信じないくせに気付いてしまうから面倒なんだ」
気付く?じゃあ、合っているのか。否、それこそ彼は何を指しているんだろう。何が合っているんだ。
「なにが、「なにを考えているのか知らないけど」
被さる声にぼくは言葉を断ち切られた。
彼が乱暴な笑みを浮かべて囁く。
「きみはおれに騙されていればいいんだよ」
頬に唇を押しつけられて、ぼくの思考は固まった。
さいあくだ。最悪にもほどがある。
窓の外、雨音はもうほとんど聞こえない。もしかしたらやんでいるのかもしれない。
どうせならもうすこし長く激しく雨が降っていたらよかった。そうしたら窓へ注意をすべらせておけたし、
「ほんとうに聞こえたらよかったんだけどね」
彼の呟きと傷ついた顔を見付けずに済んだだろう。
欺く銀線
(お互いに期待をかけすぎている)
10.04/12
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